毎日・世論フォーラム
第308回
平成30年5月31日
ノンフィクション作家・評論家 保阪 正康

テーマ
「明治150年、平成30年を考える」

会場:ソラリア西鉄ホテル

新時代のキーワード
“天皇、科学技術、国際主義”

保阪 正康 ノンフィクション作家・評論家
保阪 正康 氏

プロフィール

保阪 正康
(ほさか まさやす)

1939年北海道札幌市生まれ。同志社大学文学部卒。日本文藝家協会、日本ペンクラブの会員「昭和史を語り継ぐ会」を主宰。主に日本近代史(とくに昭和史)の事象、事件、人物に題材を求め、延べ4,000人余の人びとに聞き書きを行い、ノンフィクション、評論、評伝などの分野の作品を発表している。また、一連の昭和史研究で、2004年に菊池寛賞を受賞。著書に『昭和陸軍の研究(上下)』(朝日新聞社)『東條英機と天皇の時代(上下)』『瀬島龍三(ある参謀の昭和史)』『後藤田正晴(異色官僚政治家の軌跡)』(文藝春秋)など多数。現在、『昭和史の大河を往く』シリ-ズ(毎日新聞社)は、全13巻を数えている。

 第308回例会は、ノンフィクション作家・評論家 保阪正康氏が「明治150年、平成30年を考える」と題し講演。会員120人が参加した。保阪氏は、明治150年を4代の天皇で区分して振り返ったうえで「最後の30年は(天皇の意識の上で)国体の下に政体があった前の時代から逆に変わった」と指摘。その背景に天皇陛下の戦争への理解があるとして「手段としての戦争は選ばないというのが今の天皇のお気持ちだ。それが明治、大正、昭和の流れの中でたどり着いた国の道筋で、平成30年を考える時に重要な柱になる」と述べた。
 一方で「国家は戦争の可能性を含んだ憲法を持つ必要があり、天皇と国家の論理はぶつかる。その折り合いをどうつけるかという大問題を論じずに改憲論議を拙速に進めるのは反対だ」と述べ、安倍政権下で進む憲法改正の流れを批判した。講演要旨は次の通り。

 今日は「明治150年と平成30年を考える」というタイトルで話したい。最も分かりやすい150年の区分方法は4代の天皇だ。起承転結というドラマを作る時に、4代の天皇がきちんとそれに合っている気がする。明治天皇の45年、大正天皇の15年、昭和天皇の64年、平成天皇の30年。天皇の在位期間が150年を分ける時の区分になる。平成30年という「結」は、まったく新しい時代の形で収まっている。つまり起承転結が回転してきて、この「結」自身がこれから新しい起承転結の始まりになるという感じがする。
 この起承転結の中から分かることを説明しておきたい。一つは明治天皇も大正天皇も昭和天皇も、昭和20年までは国体の下に政体があった。天皇という制度の下に政治体制があった。ポツダム宣言を受諾して昭和20年の8月15日に日本が敗北した時、国体の下に政体があるという形は一応敗北という形で決着がついた。しかし、昭和天皇は意識の上では国体の下に政体があると理解していたと思う。憲法上は国体の横に政体がある。天皇と政体は横の関係になっている。しかし、昭和天皇の意識の中には天皇という体制があって民主主義体制があると考えていたように思う。昭和天皇はそういう教育を受けてきたわけだ。
 ところが、今の天皇は政体の下に国体を置いている。つまり民主主義体制という政治体制の下に国体を置いている。国体の下に政体を置いている時代がずっと続いてきて、起承転結の「結」の中で政体の下に国体を置くという形になった。これが歴史的にはどういう判断を生むのか、現在のところ明確な答えは出ない。天皇という制度がどうあるべきかということと絡み合っているわけだから。
 150年の中の最後の30年で、国体の下に政体があった時代から政体の下に国体がある時代に変わった。「結」が「起」になってこれからどう展開していくのかのは正直言って分からない。しかし、今の天皇が政体の下に国体を置くということの背景に、戦争についての理解、考え方があるんだと思う。
 平成の30年の今の天皇は、「私は手段としての戦争はやりませんよ」と言っているんだと思う。だから追悼と慰霊をあれほど繰り返すわけだ。手段としての戦争を選ばないという天皇。でも国家は手段としての戦争は選ばないということを100%持った憲法を作るわけにはいかない。戦争は国家としてはあり得る措置としての、それを含んだ憲法を持たないといけない。
 とするならば、そこに天皇と国家の論理はぶつかる。私は憲法を改正するなとか、しろとかいう議論を拙速に進めるのに反対している。まずいろんなことをきちんと整理しようと。天皇は手段としての戦争を選ばないと強く意識しているが、国家はそういうわけにはいかない。とするならばどういう折り合いをつけるのかが大問題のはずだ。こういう問題をきちんと論じないで、単なる憲法を論じるというのはちょっと考え違いをしているんじゃないかなと思う。
 問題は、手段としての戦争を選ばないと誓った天皇の下での平成30年論。この平成についてそういった理解をすると、起承転結の流れの中で一つたどり着いた私たちの国の道筋はこういうところにあるのかということが分かる。このことが平成30年を考える時の重要な柱だ。
 昭和の時代は三つのキーワードを使えば語ることはできる。天皇と戦争と国民だ。三つを組み合わせれば昭和の概括的なことは語れる。では平成は何だろう。その前に明治は何か。天皇と新体制、戦争。大正は天皇、文化、摂政。では平成は何か。これはすぐに分かる。天皇と政治と災害だ。そして今の皇太子が新しい時代を作っていく。これを三つのキーワードで語るとどんな時代になるんだろう。一つは天皇、もう一つは科学技術、そして国際主義だ。
 日本人は明治150年、平成30年の中でいろんな試行錯誤をしてきたが、基本的にはあるきまじめさを持っている。日本の禁欲化したある種のモラルが地下水脈のようにずっと流れていると思う。明治150年を機に、私たちが継ぐべきモラルは何か。私たちの国に流れているある種の禁欲化したモラル、道徳規範、価値観というものは生かすべきではないか。平成30年というのはそれを考える機会を与えてくれているというのが結論になると思う。

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